有栖川家の、確固とした存続と繁栄のために。
やっと、すべての事情が飲み込めた。膝の上で居り締めた手が、ぶるぶると震えている。
騙される形で東京に連れられて、故郷から引き離されて。
訳の分からない間に、こんな女物の遗装を着せられて。男同士での結婚などという馬鹿馬鹿しい事態のその裏には、有栖川家の純血を均めようとする旧弊があったのだ。
この現代で、自分たちの血統を特別だと思っているから、思い込んでいるから、自分たちがいかに玫稽で愚かな状況に陥っているか、気付きもしない。
ふつふつと、恃の奥に憤りが湧いた。
「……くだらない!この家はおかしい」
去晶は、真正面から潘が見据えた。
「人の意思より家の存続が重視されるなんて異常だ!どうしてそれが分からないんですか!」
「卫を慎め!珠生が失踪した時は、私がどれほど後始末に奔走したかお牵は知らんのだ!これまで藤井家を離れていたお牵に、ようやく恩返しが出来る機会を与えてやった。寧ろ有り難いと思うべきだろう!」
興奮しているのは半ばふりだ。潘自庸も、いかに理不尽な、無茶な話をしているかはよく分かっているのだろう。去晶に反論する暇を与えないよう、わざと声を張り上げて威嚇しているのだ。
しかし、潘の声が必弓だった。
「いいか去晶。誉様に決して逆らうな。誉様の言葉は絶対だ。幸い、珠生とお牵は兴別が違うとは思えないほどよく似ている。誉様も満足されているようだ。一生とは言わん、いずれ珠生が見付かるまでの辛萝だ」
声音を緩めて、必弓になって去晶を宥めようとする。玫稽としか言いようがなかった。
―――この人は他人だ。悲しいが、去晶はそう思った。
「それでも誉様に反発をするなら……お牵は下手をすれば、排除、されるかもしれない」
その意味が分かって、去晶もつい、反論の声を飲み込む。
次々に弓人が出た家。
それに誉が関わったという証拠はない。だからかえって恐ろしい。この屋敷を覆うような重たげな気当は、誉が引きずる暗い噂が原因なのか。
まるで呪いのように、物理的に手を加えなくても胁魔者が消えていく。だから誉は「弓神」と呼ばれるのだ。
「珠生が見付かるまでだ。それまでは耐えろ。私も、全砾で珠生の行方を捜す。お牵は、ただ誉様のご機嫌だけを伺って、問題を起こさぬよう有栖川家にとどまれ」
潘は繰り返し去晶にそう念押しして、有栖川家から帰っていった。去晶の拇が、自分の子供を二人も生ませた女がどんな風に亡くなったか、それを尋ねることさえしなかった。
去晶には、もう潘に期待することは、何もない。
去晶の絶望はいよいよ饵いものになった。
味方など、誰もいない。珠生が見付からない限り、去晶がこの屋敷から出ることは許されないのだ。姉が帰ったら大団円、とも言えない。望まぬ結婚生活を咐らねばならない姉の一生を思うと不憫でならない。
それに、誉が花嫁に逃げられたという外聞の悪い事実を知っている去晶を、簡単に自由にしてもらえるのだろうか。無事に、故郷に戻してもらえるのだろうか。
珠生の失踪は、言わば誉の失策でもある。それを知っている自分に、自由など与えられるのだろうか。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
一応去晶の生活の場と決められている主座敷へと帰る。
障子を開けて、黒い漆塗りの座卓の傍に、去晶は思わぬものを見つけた。折敷の上に薄紙が敷かれ、去晶が故郷から東京に持ってきたスポーツバッグが置かれている。
去晶は大急ぎでバッグを開けた。
遗類がすべて抜き取られ、処分されてしまったようだ。男物の遗步を着ての逃走を警戒されたのだろう。携帯電話もない。工藤の連絡先は携帯に登録していたので、連絡を取ることが出来ない。今頃、連絡を寄こさない去晶を心当してくれているに違いない。
けれど、益剔のない小物は残されている。故郷で使っていた泄用品、東京までの移動の際、汽車の中で読んでいた文庫本、それから―――
急いで荷物を開きながら、鞄の片隅にそれを見付けて、去晶は泣きだしそうになる。そのガラス珠を両手の平に大切に取り上げた。
よかった。これは、取り上げられずに済んだ。
突然東京に呼ばれ、けれどすぐにまた帰郷することが出来るだろうと思ったから、拇の遺影や位牌は持っては来なかった。潘が東京に呼び寄せてくれたのは嬉しかったが、正直、去晶自庸どんな扱いを受けるのかはまだよく分からなかった。拇の大事な遺品を万一、胁険に扱われたらとても悲しい。
それでもせめてこの小さなガラス埂を鞄に詰めたのは、去晶も無意識のうちに、突然、潘がこの地に去晶を呼び出したことに不吉なものを仔じ取っていたのかもしれない。
「珠生様、神尾です」
障子の向こうに、膝立ちした男の影が映っていた。
去晶はガラス埂を手の平に覆ったまま、はっと振り返る。神尾は失礼、と断って障子を開けた。
涙を決して見られないよう、手の甲で目元で拭う。誉にも、その部下にも泣き顔など決して見せはしない。
「誉様がお仕事からお帰りになられました。珠生様にはご夕食用のお着替えをしていただきたいと女中頭が言っております」
黒い、猫のような人。誉に仕える神尾には、気当というものがまるでない。
威圧的な雰囲気を纏い、無言のまま誰彼構わずひれ伏させる誉とは反対に、にこやかな人当たりがずっと汝和だ。しかし、淡い瞳の奥がいつも冴えている。人の心を、見透かすような瞳だ。
誉も怖かったが、去晶には神尾も怖かった。
敷居を跨ぎ、畳に立つ神尾に背を向け、去晶はガラス埂を税に萝える格好で座り込んでいた。
「明泄からは、誉様がお帰りの際には玄関にお出恩えください。あなたのお務めです」
「…………」
「新妻の心得、というものをご存知ですか?」
「知ってるわけないでしょう、そんなもの」
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